合図

2003-11-17up




パリの留守部隊へ行く途中、暴徒に襲われた。
あいつ‥‥!
俺に出るなといって自分1人でどうにかなるとでも思ってたのか。
狭い視界の中でオスカルの金髪が人の海に
見え隠れしているのに、行く手を阻まれ
あいつの側に行けなくて、俺は獣のように吠えていた。

そして、今はこのざまだ。寝台に横たわって
幾つの夜と昼をこの部屋で過したのか、正確な時間さえも
あまり判らない。襲撃にあった後の事はそんなに覚えてはいなかった。
幸いどこも骨は折れてはいなかったが頭を強く殴られたようで
怪我よりも発熱と沸き上がってくる嘔吐感に苛まれていた。

「オスカル様」
誰かがオスカルを呼んでいる。
真っ暗な部屋で誰かの手の甲が俺の額に置かれたあとそっと頬を撫でる。
人が離れていく気配がして俺は目をあけた。
暗い扉が開いて美しいシルエットが部屋から出て行こうとしているのが見てとれた。
「オスカル…?どこへ行く」
手を伸ばした先に開けた扉の逆光になって彼女の顔はよく見えない。
「起きたのか、お前はいい。まだ寝てろ」
俺の問いには答えず、言い挟む余地も与えずに
扉が閉ざされる音が空しく響いた。
起こしかけていた身体をまた横たえると俺は深く息を吐いた。

どこか、いつもと違うオスカルの声。
何を言い挟む事も出来ない。
まるで俺に聞かれないうちに出かけてしまおうとするかのような、
それで俺は気が付いた。彼に会いに行くのだ、ジェローデル少佐に。

あのグラスが割れた夜。翌朝もそのまた次の日も
彼女はいつものように俺に話しかけてきた。
変に楽な慣れあいが俺には似合いだったんだろうか。
2人の上を何事もなくただ時間だけが通り過ぎていた。

俺は再び目を閉じる。そして、少し笑う。
『幾多の悲しみや苦しみが降り掛かっても…』
あの朝、そう誓った俺ではなかったか。
過渡期が終るとは一体何が教えてくれるのだろう。
先走ろうとする気持ちを抑えて俺はただ時が経つのを待っている。

次に目を開けると薄いカーテンを通した窓からの光で
部屋はすでに温身を帯びていた。
重い身体を起こすと、右脇腹と側頭部に痛みが走った。が、
我慢出来ないほどじゃない。
顔をしかめながら寝台を降りシャツとラフな長ズボンに着替た所で
ちょうど祖母が新しいシーツを持って来てくれた。

「おや、起きたのかい?
 お嬢様はまだ今日1日休ませてやってくれと
 仰ってたんだよ。」
祖母は、言いながら俺の隣にきて寝台からシーツを手に持って
ひっぺ替えそうとした。
「おばあちゃん、俺がやるから」祖母と交代して
右脇を大きくは伸ばさないようにしながら左手だけでシーツを剥がす。
「明日からまたお供していくんだよ。
 お出かけの時に念を押されてたから。」
「うん…オスカルが?」
「いいんだよね?」何気ない祖母の声に手が止まった。
怪我の具合を聞いてるのにそうではない気がしたのだ。
その間に俺の手からシーツを受け取り、祖母は部屋を出ていった。

所詮あいつとは生きている場所が違う。
何度そう思って諦めようとした事だろう。
自分の中で境界線をしいて、これ以上は…と
何度も自分を抑えてきた。…の、結果が……
そこまで考えて隅の戸棚を振り返りそうになり俺は堪えた。
毒杯は飲まなかったが、俺には飲んだも同じ胸の苦しさが残っている。
今でも。

台所のテーブルで祖母が用意してくれた食事を摂りながらも
考えているのは今日少佐に会いに行っただろうオスカルの事だった。
じっとしてこのまま待っている事も出来ない。
だからといって、何をどうする訳でもない。
今日一日は休めと言われても、部屋で本を読む事も
長くは続かず、俺はつい馬屋に向かっていた。

俺を見とめて嬉しそうに嘶く馬に足下の飼い葉桶の中味を
与えた。草を食む馬をそっと撫でる。
その時この邸の執事氏が大きい鞄を抱えながらやってきた。
そして俺を見つけて眉尻を下げる。
「おおアンドレ、すまんが儂を乗せていってくれんか。
 パリに所用があってな。」
「執事さん、アンドレはまだ…馬車なら僕が…」
後から駆けて来たクロードが俺の怪我に気を使って言ってくれた。
「いや大丈夫。俺が行くよ。」気分転換がしたかった俺は
2頭立ての屋根のない馬車の支度を始めた。
せっかちにも執事氏はすでに乗り込んでいる。
これでまた襲われたら洒落にならないが、
今からだと暗くなる頃にはパリを出る事が出来るだろう。
「おばあちゃんを見たら、パリに行ったと伝えておいてくれ」
御者台にあがったあと見送るクロードに言って邸をあとにした。
パリと聞いて、本当の所オスカルに会える
偶然を期待しているのもなきにしもあらずで…。

はたして無事にパリに辿り着く事が出来たのは
陽が高いせいか、馬車が小さいためだったのか。
そろそろ陽が暮れてくるのに一抹の不安を感じながら
執事氏が戻ってくるのを御者台の上で待っていると、
その前を見覚えのある制服の集団が横切って行った。
「おーい。やっぱりフランソワ。」
「あ!アラン、アンドレだよ。」先行してるアランを呼び止めて
フランソワと後の連中がやってきた。
よくよく見ると第1班の連中だった。5名居る。
陽が高いせいでも馬車が小さいためでもなく
彼等が警邏してたからなのかと合点した。
「おお。やっと、
ショセダンタンの留守部隊からお帰りか?」
揶揄混じりのアランの言葉も新鮮に聞こえる。
「オスカルを見なかったか?」
「隊長なら、兵舎でちょっとばかし見かけたよ」
青白い顔のフランソワが横からひょいと口を挟む。
「おめえは、明日からなんだろ?
 あの人も今日は顔見せだけだって言ってたが…」
「明日?」
語尾を拾う俺にかまわずアランは続けた。
「色男、なんでこんなとこに居んだよ。お姫さんとはぐれたか。」
「いや。だけどまだお払い箱じゃないらしい」
「ほう。ま、そうなっても後釜はたくさん居るがな。」
「ぶっ。」
みんなで笑おうとした所でなぜかピエールが噴いたので
アランが舌打ちして薄目で奴を見ていた。

執事氏が戻る頃にはすっかり陽が暮れていたが
馬車の周りはある意味強固にガードされていた。
連中と明日を約束してから、俺は執事氏を乗せて帰路についた。

「昨日も持ってあがられたのに、今日もですか?」
邸に戻るとホールに居るナナの声が正面まで聞こえた。
オスカルがワインの瓶を持って上がったのを
祖母が見とがめたのだが得意の交わし方で部屋に入ってったらしい。
「もう…。おやおかえり、アンドレ」
「ただいま」心底困った顔の祖母が少し顔を傾けていた。
その小さい背中を見ながら台所を通り過ぎ外の水場で手を洗う。
見上げるとオスカルの部屋の窓からは薄い灯がもれていた。
彼女の部屋の暖炉のことが頭を掠め、薪を持って上がろうとバケツに詰めた。


部屋の外からオスカルに声をかけたが返事はなかった。
少し、躊躇してから扉を開ける。
小さく燃焼している暖炉の側にバケツを置いて、オスカルの手から
滑り落ちた物だろうグラスを拾いあげた。
彼女は消えかけている暖炉の方に優雅に組んだ脚を投げて
仰向けに倒れ込むように椅子に身を沈めていた。
幼い頃から見なれたオスカルの寝顔に思わずふっと
声に出して笑いかけてる自分が居る。

想いを伝えられないもどかしさよりは
変に楽な慣れあいが俺には似合いだったんだろうか。
時に虚無感に襲われるのをやり過ごしてそれでも生きていく。
時代は日々変わるのだという。誰もが口を揃えて俺のなかでも変わりつつある。
己の気持ちだけを拠り所にして時が経つのをただ待つのか
いつまで待つつもりでいるのか、
今の俺はそんな自分を持て余している。
抱きしめたい。
「アンド……」
オスカルの顔を見つめ続けている自分にふと立ち戻った。
最後の言葉は掠れていたが確かに俺の名を呼んだような
気がして思わずオスカルに声をかけようとした時だった。
いきなり目を開けて勢いをつけて起き上がる。あやうく顔を
ぶつける所だった。
「起きてたのか。」
「なんだ…おまえ…」
「なんだじゃないぞ。
 下でおばあちゃんがこぼしてた。
 2日続けてワインを持って部屋に引っ込んでったってな。」
「ああ…」
「…オスカル?」
俺の声が届いているのかいないのか、オスカルは俯いたまま
眠そうに目を擦りながら何度も頷いていた。
「寝るんなら、ちゃんと奥で休んだ方が……さあ、オスカル」

ワイングラスをテーブルの上に置いてオスカルに向き直ると
そっと俺の腕に手をかけて別の腕が肩に伸びてきた。
「なんの真似だ?」
そのまま、動けなくなった俺に構わずオスカルはますます
隙間を無くすように己の身体を預けてくる。
「なんだろうな…」
絡み付いてくる腕に力がこもる。彼女の背中に回した手が
指先が自分で震えているのが分かった。頬が触れあってすぐ側の
半開きの唇に俺の思考は消し飛んだ。ワインの匂いがする。
鼓動と鼓動が重なって絹のシャツを通った彼女の体温を
感じた時、ふいにオスカルの手が俺の顔に触れた。
偶然 頬に触れた彼女の手の冷たさに驚いて、思わず俺は身体を離していた。
「……すまん…」
訝しげに真直ぐ見つめる蒼い瞳が俺に問いかけていた。
『何故謝る。誓いをやぶって抱きしめてしまったから?』
『あるいはしなかったから 彼女にキスを。』
もう一度抱きしめたくても、もう手は思うように動かなかった。
さっきの倍は震えてるのだ。
「俺は貴族でなくて良かったような気がする」
「?」
「お前に求婚してもし断わられたら、
 もう会う事は出来ないかもしれないだろう?
   …負け惜しみじゃないぞ、そんなに笑うな。」

酒が入ってるオスカルはその後しばらく肩を震わせながら
笑い続けた。そんなに俺は可笑しい事を言ったのか不思議に思う程だった。

あと何年待てば、変わる?

誰を憚る事無くお前を愛していると言っても良い時代がすぐにやって来る。
なのに俺達はもう若くはないというのに
疑問を抱きながらもここからまだ動けないでいる。

どうしてこんなに苦しいんだ。

だけど‥‥
お前の顔を見ると自然に微笑んでいる自分に気付くんだ。




FIN



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すいません、すいません、、、×100
◆こちらを書く上で、若紫さまの
「マリー・アントワネットの最後の牢獄」より
付録・実録フランス衛兵隊を参考にさせて頂きました。
こんな所からですがお礼申し上げます。









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