或は別れが容易なら。  



 或は別れが容易なら。    

 2009-04-19      


 



夕闇が迫る兵営に人気はまばらで、衛生室からシーツの束を持って 兵舎に向かう廊下でも
すれ違ったのはダグー大佐一人だけだった。

彼は俺の顔を見て一瞬意外そうに目を見開くが
口元にいつもの穏やかな笑みを浮かべて
立ち止まる俺の横を通り際に、制帽の鍔に手をかけた。

今夜は邸でオスカルの為の舞踏会が開かれる。
なんの趣旨の舞踏会かは知るまいが
彼女が先に帰ってしまった後に、俺一人がまだ残っているのに彼は驚いているのだろう。

今日、オスカルが兵舎の食堂室に現れて、手の空いている者は
懇親会をうちで開くので、ご馳走するから終わったらすぐ来るようにと
目を丸くして驚いているアラン達に言い渡していた事は、後になって知った。

何を考えて・・・

「憐れむのか、お前も」
「何を・・・違う!」

腕を引いたあの時、力を込めすぎたのか、彼女は震えていた。
瞬発的な力には圧倒的な差があるのだ。
腕を解こうとする彼女の力が俺の手に伝わって同時に悲しくなり
気付けば思い切り突き放していた。

あれから、どちらともなく口を聞かなくなっていた。
怒っているわけでは無いし、何か怒らせたわけでもない2人とも。
お互いが変に気を使っているような、そんな風な雰囲気ではあった。

コート掛けから下ろしたケープを羽織りながら
「お前も一緒に帰らないのか?」と、オスカルは怪訝な顔で聞いてきた。
「まだ少しやる事があるんだ。急ぐのなら先に帰るか?」
質問を質問で返すと、彼女自身も意識していないような
小さな吐息のような溜め息だけが届いてきた。

司令官室の窓からは彼女を乗せた馬車が進み出して行くのが見え
彼女が帰った部屋にひとり残り、書類を整理して、サインが必要なものは
彼女の机の引き出しにしまった。隅に小さな鍵があり、それで別の引き出しを開けると
彼女のピストルが出てきた。ここで使う護身用だ。
手にとったそれは、人の命を奪う事の出来る武器としては
  決して軽い物ではなかったが、俺の手には少し小さく感じた。
よく見ると持ち手の銃床を削ってあり、彼女の手に馴染むように
工夫されているのだった。くすんだ金属色が気になって、側にあった布で磨くと
やがてそれが光だし、俺は満足してまた元の位置に戻し鍵をかけた。

汚れてしまった布を衛生室の篭に放り込むと、洗濯されたシーツの束が
目についた。シーツを持って兵舎に渡り、面会に使っている部屋の前まで来て、
洩れ伝わって来た話し声に俺は足を止めた。
「ばかっ」
急に大きくなった聞き覚えのある声に、俺はそのドアをノックした。
しばらくしてから、低い応答がありドアを開けると、
奥のテーブルの横に立った人影に、俺は声をあげた。
「マドモアゼル?」
すぐ横に腰掛けて脚を組んでいるアランが、俺の顔を見て
「おう。んな事は伍長にまかしとけよ」シーツの事を不機嫌そうな声で言った。
「ついでだったからいいんだ」
「ついでねぇ。何のついでだか。いつから衛生室も持ち場になったんだ」
言いながら頭を振ったアランは、釣り上がった目で妹を見て
兄の顔を覗き込むような彼女の笑顔から目を反らした。
「知ってるよな、こいつは妹のディアンヌ。
 ディアンヌ、アンドレだ。
 オマエが好きな隊長の、補佐兼ご従卒どの」最後の部分だけを
口の中でぶつぶつと言いながらアランが早口で紹介した。
「もう、兄さんたら」オマエが好きな、と言う所に反応して
紹介されたディアンヌは、俺にはにかむように微笑んだ。
「初めましてムッシュウ。兄がいつもお世話になっております。
 長々とお邪魔してすみません」
「いや、こっちこそ。邪魔したなアラン」
「もう帰るとこなんだ。なぁ。」
同意を求められた妹は、兄に笑顔で応えた。
「ええ。だから兄さん、途中で馬車拾うから」
「ばかやろ、拾うとこまでどうやって行くつもりだ?」
前を通りがかった時、揉めてるような声が聞こえたが
どうやら、アランが彼女を家に送るのに、馬を勝手に 動かそうと目論んでいるのに、
困惑している妹が抗議していたのだった。
「ダメよ、今って待機中でしょ?」
「わかりゃしねぇって、とお前ぇもそう思うだろ?」
極力、声を潜めて妹を説き伏せ俺に同意を求めるアランが
可笑しくて、俺はつい笑ってしまった。
実際、今日ならさほど咎められないと思えた。
「もし良かったらだけど
 俺が送って行こうか?
 これから俺も邸に帰るだけだし」
アランはむしろ呆気にとられて俺を見た。俺も咄嗟に
そうだ、それが一番いい考えだと思いながら続けて言った。
「俺が一緒なら馬車を拾うのも心配は無いだろ?あ、そうか。
 一緒に乗ってうちまで送っていくよ」
「眠そうな顔のオマエに、妹を預けていいんだか」
「ぬかせ」お前にはこれ、とばかりに、持っていたシーツの束を
アランに投げて差し出すと、奴は両手で受け止め「悪いな、頼む」と告げた。
「ああ、もちろん。
 あ、もしかして、送った帰りにうちに来るつもりだったのか?」
「どいつもこいつも、そんなにオレの余興が見てぇか」
次の瞬間 俺たちは笑い合っていた。


「あの、、、」
小さな声でディアンヌは歩いている俺に声をかけた。
「本当に宜しいんですか、ありがとうございます・・・
 早くお戻りにならないといけなかったんじゃないんですか?」
「大丈夫、これも立派な仕事の内だから」
これも立派な仕事のうちだ。遅れて帰っても大丈夫。
オスカルがその場に居たら、きっと同じ事を俺に指示しただろうから。
「ありがとうございます」
そんな風に、自分にも言い聞かせている俺だった。
「来るときは一人で来たの?」「はい」
「危険じゃないかい?」「慣れておりますので…」
貴族の娘が共も連れずに出歩く事を慣れている、か。
「そうか…」「あの、今日は、、、」
「分かってるよ、誰にも言わない。面会日じゃないのに来ていたことは」
「すみません」
「色々相談事があるんだろうね。結婚が近いと」
言うとディアンヌは急に照れて俯いた。
「ウェディングドレスは借り物で、手袋も母のものなんですが
 ヴェールは私が自分で編むんです。」
「それはすごいね、大変だろうに」
「小さい頃からの夢で…
 どんなヴェールでも、自分で編めたら素敵だなって。
 この前の面会日に兄に言っていたら、
 急に糸代を取りに来いって手紙が…
 兄には無理をさせてしまって…優しいんです、とても」
幸せそうに微笑みながらディアンヌは花の刺繍を施した手提げを
大事そうに胸に抱え込んだ。
「糸を買う店は分かってるの?」「はい…」
「よし。じゃあ、寄って行こうか。」
「え、そ、そんな。宜しいんですか?」「もちろん。行こう」
2人が街道に出るとすぐに辻馬車は掴まった。ディアンヌと乗りこんで
彼女の言う行き先を馭者に告げると、勢いよく馬車は走り出した。
少し広い民家に近いその店は
時間が遅かったせいもあって閉まっていたが、ディアンヌが声を掛けると
急に灯りが点いて軋んだ扉を店主が開けた。

「助かりました。」
糸と言っても種類があり、それぞれを細かく比較検討をしていたら遅くなったが
ディアンヌは澄んだ声で礼を言った。
「見つかって良かったね」
「はい」嬉しさでいっぱいだと云う風に
巻き糸の入った袋を手提げから覗かせて大きな瞳を潤ませた。
思えば身近に、結婚を控えた女性というのをあまり見た事はなかった。
今のオスカルも、言わば結婚を控えている状態のはずなのだが
なんという違いだろうか。



「おおアンドレ。やっと帰ってきたか」
「旦那様。大変遅くなり申し訳ありません」
  「いやいや。
 お前の事だからあれの為に働いてやってくれていたのだろう。
 良いのだ良いのだ。」
「恐れ入ります…」なんの理由も知らないはずなのに
やはりオスカルは庇ってくれていたのか、旦那様の優しい声を聞くと
少し、罪悪感を覚えた。
「いや。だが、今日は、今日だけはお前に居て欲しかったぞ、アンドレ。
 あいつを止められるのは、やはりお前でないといかんかった。」

そんな風に
旦那さまに言われたからではなかったが、オスカルの顔を見に行こうと
階段を上がって行くと、吹き抜けを挟んだ反対側の
薄暗いテラスに背中をこちらに向けて
身じろぎしないで腰掛けている彼女を認めた。
「オスカル」
俺の呼びかけに、彼女は顔を横に向ける。オスカルであることを確信して
俺は飾り廊下を渡った。

「どこへ行っていたんだ?心配したんだぞ、あんまり遅いから。」
ソファの横に立った俺に待ちかねていたような声でオスカルは畳み掛けた。
オスカルの様子がいつもと違っていた。
まただ。そんな彼女には覚えがあった。

「心配をかけたのなら、謝る。だけどちゃんとした理由があるんだ」
「とっくに舞踏会も終わったぞ、何故遅れた?」
俺が居なかった事で、何かあったのか。
俺は彼女の責める眼差しから目を反らして言った。
「オスカル、頼む」 反らした先に、彼女の礼服らしき着衣が脱ぎ捨てられていた。
旦那さまの仰っていた事が、今分かった。
今日という日を、本当に懇親会にしてしまったのか。
「俺が悪かったのは判っている。
 だけどそんな風に訳を問いただされると・・・
 ちゃんとした理由があるが何かの口実なのかと
 自分を疑いそうになる」
咄嗟にオスカルは何かを言いかけて、しかし彼女は先を継げられずに
2人の間に不自然な沈黙が降りた。
「・・・そうかも知れないなら、俺はどうすればいい?」
何を言いたいのか、何故途中で止めるのかと腹立たしくもあり
俺に言えない何かが起こったのかと、不安になった。

ヴィクトール・クレマン・ド・ジェローデル
あいつが…?

「はっきりしない理由で、遅刻してきた俺を見損なったか」
オスカルの顔が近付く俺の影で暗くなる。
彼女は寝椅子に掛けたまま訝しげに俺を見上げた。
やっとオスカルに届くくらいの声で続けた。
「いっそ行方をくらませたらどうだ?」
それで足りなければ、いっそ。
かの誓いを破ったら…
俺は今度こそオスカルに嫌われ、憎まれるんだろうか。

「…俺を軽蔑したか?」「ば・・」
オスカルはらしくなく、口ごもった。

俺はそのまま、先を続けられないオスカルの前で
彼女が次に何か告げるのを、ただ待ち続けた。応えが無いのは拒絶?
あるいは、躊躇かと思っていた。

子供の頃なら喧嘩なんか何度もした。
お互いが理解し合えない事など起こりはしなかったし
時には本気で殴り合って解決することも出来た。
すぐに言いたい事が言えて、仲直り出来るのが判っていたから
喧嘩をするのを恐れなかった。
だが俺たちは、お互いに触れてはいけない部分を見つけてしまった。
言ってはいけない言葉があることを知ってしまった。
いつのまにか、本気では殴り合えない事を知ってしまった。

「莫迦を云うな
 お前が嫌になった事など一度もない…」

ーーーーあるいは、躊躇かと思っていた。
影になっていたオスカルの顔が月明かりに蒼く浮かび上がり、瞳に燭台の光りが入る。
俺は身を引いて 卑怯者になった。

「アランの妹を家まで送って行ってたから今日は遅れた。
 勝手をしてすまない。面会日じゃないから、内緒にすると  約束したんだ」
「なんだ、そう、だったか、
 ご苦労だった」

話し合いを避けているのは、俺の方だったのだ。
そして、今も、誤摩化した。彼女はいつもぶれない答えを持っている。
持てないのは俺の方なのだ。
俺は彼女の脇に片足を着いて燭台の炎に煌めくオスカルの瞳を見上げた。

「許してくれ…どうか」
「…? ああ」
1度言葉にしてしまったから、もう2度と云う事は出来ない。
後悔はしていないがしているとすれば、彼女を恐れさせたことと 1度に全てを望みすぎた事。
考えながら立ち上がった。
もしも彼女に憎まれれば、或いは楽になれるんだろうか。そう考えた日もあったのだ。

「今日の舞踏会‥」俺が言いかけると、オスカルは急に狼狽え
唇を一文字に引き結んで俯いた。
それで充分だった。
「いや、いい」「アンドレ」
その場を離れようとした途端、急にオスカルが俺の手を掴んだ。
不意の事で、驚いて振り返る時には、もう彼女は手を引っ込めて
まるでそんな自分自身に戸惑うかのように、顔を片手で覆って
寝椅子に脚をあげ深く身を沈めた。
「オスカル?」
「行っていいぞ…」なんでもないと云う風に首を振ってオスカルは答えた。
もう話は終わったのだ。

だが俺は側を離れがたくなっていて
オスカルが顔を覆う手を解いて、もう一度彼女を見たかった。
「ここに、居てもいいか?」
次にオスカルの応えがないのは分かっていた、それが拒絶で無い事も。
そう。
それなら彼女が顔を上げるまで待つ事にしよう。
その瞬間に何かが変わる。そんな気がするから。




Fin









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