イカレ頭のゴリラ

2006-06-15up





「待ってたぞ、ソワソン将軍。」

出迎える者の居ないはずの部屋に、椅子に腰掛けテーブルに頬杖を
  ついたその人が居たので、オレは驚いて声を上げそうになった。
「た…いちょう…?」言ったあとで何故と思うより先に、
変わらぬその人の輝きに目を奪われぽかんと口を開けてる自分に気付いた。
「お…、ど…?」お久しぶりです、どうしてここに?と言いかけたが
言葉にするとなんだか嫌ににやけてしまいそうで思わず片手で顔を覆った。
実際、なんと呼べばいいのだろう?この人の事を。
もう自分の上司ではないこの人の事を、やはり「隊長」と呼ぶのが、いちばん
しっくり来る。
「久しぶりだな。」
そんなオレをよそに背筋を伸ばし、真直ぐに見据えて来る隊長に
思わず脚を揃え踵を鳴らし右手を顳かみにあてて最敬礼で答えた。
「お久しぶりであります、隊長。」
「ふむ」
満足気に答えながらチェストの上に置かれた、小さな肖像画に
目を止めその人は口の端を上げた。
あまり出来は良くないが、軍服を着たかつてのご本人が描かれているのを
見て、懐かしい目で微笑んでいた。

この人が、軍籍から離れて幾年経ったのか
その間にこの人の顔にかつてはあった険しさや
焦燥感は消え失せ、(彼の時はそれでも、非常に美しかった訳だが)
今は穏やかで、豊かな教養に溢れた素のままの美貌だけが
あの頃と少しも変わらずに際立っていた。

そうだ、オレにはこの人が居たのだ。

今日、カトリーヌへの淡い想いが潰えてしまったのに少なからず
ショックを受けて帰って来た俺は、何かの願いが通じたかのような
気持ちで、その人の訪れを心から嬉しく思った。

「お前に呼ばれて来たと云ったら下のマダムが開けてくれたのだが」
その人が何か云う度に過剰に反応している自分を滑稽だと感じながらも
思わず背筋を伸ばして聞き入ってしまう。
「アラン、あんまり足音をたててると
 ゴリラが歩いてるんじゃないかと
 下のマダムが驚かれないか」
「ゴリラを見たんですかいっ。」
「もういいから、手を下ろせ」「オワっ」
隊長に云われるまで気付かずにオレはずっと最敬礼のままだった。
薄く菫色に染めたブラウスにラフなスラックスを身に付けて
男装のまま、背中を曲げてくっくっと笑うのがこの人らしくはあった。
俺は階下に住んでいる、鍵を預けている人のいい老婆を思い出した。
きっとあの老婆の方から、住人の留守にやって来てしまい
開かない扉の前で困ってるこの人に、声をかけたに違いなかった。
「急に来て、すまんな」
「かまわんですよ。隊長ならいつでもどうぞ」と、
言いながら俺はずっと長い間、この人と話をしたかったんだと言う事を
頭の隅で思い出していた。しかし一体何の話をしたかったのか、
頭に霧がかかったみたいに、すぐには思い出せないのがなんとも心もとない。
「イタリアは、激戦だったな…ご苦労だった」
隊長の言葉にオレの思考は中断された。
「もちっと早めに帰って来た事を報告に行きたかったんですが
 時間が…」「かまわんさ。」云った後でその人は
「思い出してくれていただけで充分だ。」と小さい声で付け加えた。

「思い出すと云えば、アルコレのとき
 ボナパルト将軍を橋の下に突き落としたと云うのは本当か?」
「誰に、それを…」
丁寧に説明しようとすればするだけ、オレのぎこちなさに
その人は身を捩って可笑しさを堪えていた。
「まったくお前の上官は苦労するなぁ」「…隊長」
「一度あの男には会った事がある。お前が仕える事になったのに
 橋から落とされるくらいならまだましな方か。」
そう言う隊長の横顔と遠くオリエントを見ている今日のボナパルト将軍が重なった。

「行くのだな」
「オレぁただの戦争屋ですから」何が云いたかったのかやっと思い出した。
いや、何が聞きたかったのか。
『オレはこれで良かったのですか?』誰にも聞くまい。「隊長‥」
だが自分一人では永遠に答えの見付からない問い。
他になんにも出来ないから奴についてきた。それで良かったんだろうか。
「それはな、判らんのだ。」
なんとなく予期していた答えをあっさりと呟くその人の横顔を見ていると
「あ いや、違うな、お前にしか判らんのだ。」と云いなおした。
そうして頬杖をついていた手を胸にあてて蒼い双眸をオレに向けた。
「私も同じテッポウ隊だからな?」
そのセリフにオレの中で何かが弾け、急激に何年も前の記憶に引き戻されていった。
「心配するな。私はいつも見ている、お前が莫迦しないか。」
「ハッ、こう言っちゃぁ何ですが、なーんも恐かねぇですよ、ただ…」
言う間に隊長の輪郭がその境界線を徐々に失っていく。
あり得ない事態に目を剥いているオレに
半透明の自分の手をかざし、その人は薄く笑った。
「…思い出したのか」

思い出した…。
オレはいつからイカレちまってたんだ?
それとも、あなたが居ないこの世界の方が、壊れてるのか?
呆気に取られているオレの前で瞬きの間に、
その人の姿は、陽炎のように立ち消えて行く。
放心しているオレの背中で、閉めた筈のドアが、もう一度音を立てて閉じられた。
慌てて振向いても、閉じられたドアの前にはもちろん誰も居ない。

死ぬ事なんざ恐く無い そこにあなたが居るのなら。
一瞬目を閉じた後に、また、あなたに会えるのなら。
何を辛いと思うだろう。
ただ、あなたを早く見付けられるための標しも何も無いのが辛い。

「道理で変わらねえと思ったよ、10年経ってるのにだぜ…」
オレはさっきまでその人が座っていた椅子を引き出し深く息を吐きながら腰掛けた。
古いそれはオレの体重を支えるのにはじめて
ひどく軋んだ音を立てた。


FIN




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アランの家って、 ベルでは普通の一軒家ぽく1階にお母さんが
居たから、あそこはきっと玄関ホールみたいなもんだろうと
勝手に思ってたのですが、、、
エロイカになると、急にアパルトマンちっくになってませんでしたっけ。
まあ、いいか。(笑)アランにはこの後、下のお婆さんに
「ゴリラが居るかと思った」と云われてみてほしいです。。。


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