淪落記

2006-08-05up









傀儡


昼でも薄暗い、深い森のなか、緑の霞みに紛れて俺は歩き続けてる。
身に付けた鎧の重く軋んだ音と
風に揺れる、葉の擦れる音とが混ざって、俺の聴覚を惑わせる。
俺は、ひとり。
疲弊した顔に霧があたり、熱を奪っていく。冷たい雨のあとの
4月の森に息は白く飛んでいた。

ふいに、自分では無い 草分ける別の足音に身を翻して、太刀を構える。
構えた途端、叢から踊りでた侍が、覚悟を決めろと斬りかかってくる。
切っ先を避けながら、相手の言った言葉を考えた。

…覚悟とは。

激しい音を立てて、二つの太刀が十字に重なり、力対力の攻防となる。
激しい金属音に 耳をやられながら、
力任せに突き放した相手が、次の瞬間に渾身の太刀を真横にないで
俺の目の前が真っ赤に染まった。反射的に身を引いたので深くは斬られてない。
良かったではなく、何故かと、また太刀を振るいながら思った。

何故、俺はまだ戦ってるのか。



奥州の森


「退く道など、最初から無かったと言った、あの時の事を憶えてるか?」
刀身を水平に保ったまま、俺はアツシに問うた。
「あの後はお前も恐らく知っての通り。
 兄上に反旗を翻した時にもう牛若の影としての俺は居なくなった。
 だから、」俺が話を言い終わるよりも早く
アツシは首を振っていた。「兄は本気になったのだ。」
「ちがう…」
静かだがはっきりした声でアツシは否定した。
「あの人に取ったらどっちだって良かったんだ!
 あなたが弟でも、そうじゃなくっても。
 あなたを討つ理由がほしかったのは他でも無い…」
「お前も、セイと同じことを言うのか」
脳裏に白い美貌が過る。
それは目の前のアツシと同様に悲痛な顔で俺に訴えかけていた。
「近寄るな。」
俺の声音にアツシが足を止める。
「不思議で仕方なかった。継信にただ雇われていたお前が
 奴の死をあんなにも悲しがっていた。
 かと思えば、あっさりとその日に居なくなった。」
切っ先を奴に向けても、全く動じずに俺を注視したままだった。
「今日の今までどこに居た?
 お前こそが兄の寄越した刺客だったのか?
 それならさっさと俺の首を取るがいいっ」
「違います!」
なら、誰に頼まれて俺を追ってきたのだ?
続けてそう聞こうとして止めた。今となってはもう、どうでもいい事だ。
「俺を殺さんのなら、引き返せ」
「判らないのは」
太刀を鞘に納めながら言い放つと、奴は目を見開いて俺に訊いてきた。
「どうして貴方は身替わりになることを選んだんですか」
アツシの問いかけに俺は絶句して振向いた。
今の状況を忘れて目の前に鞍馬寺の過ぎた日が瞬く間に溢れてくる。

猟師の親元から離されて、鞍馬寺で俺はひどく孤独を感じていた。
何か特別に人に奉仕しなければ、自分の居場所を与えてもらえないような
そんな気になっていった当時を思い出して俺の心は一瞬重く塞がった。
「生きる場所が欲しかっただけだ」

アツシが一歩近付くと同時に音も無く俺は地を蹴って奴に斬りかかった。
驚くほどの反射神経と跳躍力で奴は後方へ飛びすさる。
「逃げようって言ってるんだ!」アツシの声に構わず
鮮烈な風を斬る音に荒い俺の息が重なった。
次の手が見えない…。
奴の怪力を忘れたわけじゃない。
「去れ!」

‥ギィッ…ン!!

刀身はアツシの右脇腹に消えていた。
アツシは華奢な右腕で巧みに刀を押さえ込んではいたが
俺の渾身の力に片膝をついた。
自分の脇腹に生えた刀、柄にかかった武骨な手、そして
俺の顔を見上げたアツシは懐かしいものを見つめるようにその目を細めた。

「アツシ…」
そして同時に二人が同じ名を呼んだ。
「すまん、追い払いたかっただけで、当てるつもりではなかった。
 本当だっ…」
刀が鈍らになっているのはさっきの老侍で分かっていた。
「判ってます…まさか、当たるとは私も思いませんでした。」
「アツシ」
「だからそれは貴方の名前でしょう」
俺に腹を割かれているアツシは抑揚のない口調で続けた。
「私はマコトです。セイと一緒に、貴方を逃がそうと
 思ったんだけど、これも私の運命だったんだ。
 彼女にも怪しまれただけでした…。」
何が何か判らないままの俺に構わず、アツシの話は続いていた。
「宇治で初めて会った時のことを覚えてますか?
 すぐには気付かなかったのは本当に迂闊でした。」
「…何…」
脇腹を抑えながら、アツシは立ち上がろうとして
立ち上がれずに俺を見上げて顔を歪めた。ー笑ったのだった。
「アツシ?」
「最初に貴方を認識出来なかったのは私の欠陥ですが…」
奴は手を着いて木の根にもたれかかり、身体を伸ばし俺を見上げた。
「貴方も私を覚えてませんでしたからね。
 鞍馬寺に来る前の事はどれほど覚えています?その前は?」
その事はもう判ってる。
あれは、養い親じゃない。あれこそが本当の両親で
俺はあいつの影に選ばれた、ただの猟師の息子だったんだ。
その事にはとっくの昔に気が付いていた。
「その…前だと…?」

「いいんですもう…
 また会う事が出来たらと、色んな事を考えてました。
 傷を治したらまた追います。その時はもう少し私の話を
 聞いて下さいね」
ゆっくりとした動作でアツシは顔を真横に向けて
何かを見付けたように昏い森の奥を凝視した。
「急いで…」
呟くようなアツシの言葉に、俺も森の奥に目を凝らす。
何も気配すら感じなかった。
ゴツゴツした木の根元で、真横を向いたまますでにアツシは止まっていた。
大きく目を見開いて、彼は最後にその目で何を見たのだろう。

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浅く早く息を継いで、草深い山道を踏み分ける女が居た。
戦いの後の木の葉一枚の乱れも見逃さずに、屍を数えながら
恋しい男を追っていた。
ふいに開けた小高い丘に聳える樹の根元に、腹を抑えたまま
息絶えている少年を見付けた。数日前に自分の所に来た少年だと
見てすぐに判った。「…おい…」
真摯な目で、自分と一緒に義経を助けようと言った。
だけど女は相手にしなかった。その目が禍々しい色に見えたから。
断わると、ひどく落胆して項垂れていた、あの少年だった。
女はすぐに辺りを見渡して、緑の木の葉に付着した血の色を見つけ
再び草深い山道を分け入ろうとした時だった。
「すぐに追付きます」
確かに誰かの声が聞こえて、また女は振り返った。
遥か頭上で雁が鳴いている。
それ以外は全くの静寂であった。
「おい、お前…」女は再び、聳える樹の根元に声を掛けた。
当然、返事は無いものと判っていた。女は、生きてはいないような、だが
死んでもいないような、少年の美しい姿を糸の切れた傀儡のようだと思った。
もう少し経ったら、まるで樹と同化してしまうのじゃないのかと
思いながら、まさか莫迦なと自分の考えを打ち消したのだった。







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