淪落記

2005-03-06up





10、別れ

予感があった…
また会う事になると俺は強く確信していた。
−セイに対しては、だ。

アツシの事なんて本当の事を言えばほとんど忘れかけていた。

一晩のうちに陸路をひた走り屋島平氏軍の背後に
回り込めたのはアツシと継信の功績といっても過言ではなかった。
そして、夜襲。
少数故に松明を増やし民家を焼き、平氏勢に近付くに連れて
大軍に見せかけていった。島風に煽られた松明の火は野を焼き
辺り一面を焔の色に変えて俺達の背後に迫っていた。

丘の上から、未だ眠る眼下の敵を見下ろして息を詰めた。
左には、弁慶。右後方には継信、そして、徒のアツシ。
「行くぞ!!」

おおっというかけ声と共に、皆が松明を次々と地に落とし
刀や柄ものを手にしていった。
「敵で無いなら、俺より前に出るな
 目の前に現れたら全て叩く!!」

背後に落とした松明の自らの火に押されるように
俺達は眼下へと−−−。
地響きを立てて本拠地になだれ込む我らにしかし
平氏勢はまだ戦体勢になっておらず
追い込まれた奴らは戦わずに海の舟へと退いて行くのが見てとれた。

向かってくるのは、ほんのわずか。その全てを肉塊にかえていく
ぶつかり合い肉弾戦になっては、あっけないが
確かな勝利を確信したその時、すぐ目の前を矢が走った。

矢が放たれてきた左後方に騎乗したまま振り返ると
俺に向かって矢をつがえている武者が人と人との間に垣間見えた。
腕を思いきり伸ばして弓を引いている。それが人に隠れてはまた現れた。
俺に向かって何かを叫びながら武者は番えた矢を放った。

まっすぐ俺に向かってくる瞬時に時間の流れが緩やかになって
それはそのまま弧を描いてまっすぐ俺の眉間に…。
そしてそのまま。

目の前に男の横顔を見た。
と思った瞬間、俺の体は肩から激しく打ち付けられ
かろうじて馬上にありながら大きく揺さぶられた。
「殿!!」
アツシが悲鳴に近い叫び声をあげながら駆け寄ると
軽々と倒れた男を助け起こした。「継信…」
馬から降りて奴の側に付いてやると、アツシはその場を
離れ矢を放った敵に向かって走って行った。「アツシっ」
奴が柄ものを持って走り出すとまるで蜘蛛が散らばるかのように
敵は散開していく。柄ものを振りながらそのどれを追うか
決めかねて奴はまん中で立ち尽くしていた。

継信は俺の腕の中で呻くように声を絞り出した。
「退路を、残しておけなくて、すまん…」
今際の際とは思えないような声で継信は皮肉を込めて言った。
「前に出ない方が良かったか…?」
「…退く道など、とうに無い」出来るだけ低い声で
応えたが自分の声が震えているのが判った。
「よせ、泣くな」そう、俺は泣いていたのだ。
だんだん継信の顔が見えなくなっていく。この感覚には
覚えがあった。そうだ、牛若の最期を見るようだと思ったのだ。
それは影武者である俺の身替わりになった継信への哀れみのようでもあり
旧知の友への永の別れを惜しむくやし涙のようでもあった。



庭の玉砂利を踏む音がして俺は板の濡れ縁に下りると
敷かれている円座にあぐらをかいた。
「来たか」「お呼びだと伺いました」
「まだ居たのか、とも言うべきかな?」
早々にアツシは元の山暮らしの装束に戻っていた。
仮の主従関係のようであったのに
継信を失くした事でひどく落胆しているのが
まるで本当に生涯仕えた主人に先立たれたかのごとくであった。
「用というほどの事でもないのだ。
 ただお主の身の振りようを考えていた。
 継信の居ない今はどこへなりと行って良いのだぞ。
 それとも道案内の報賞に奴と何か約定でもあったのか」
「いえ、ただ、ただ一緒に戦えれば…
 自分でもよく判らないのです、
 仰せの通り、山に戻ろうとは思うのですが今夜にでも…」
「アツシ‥」
「不思議ですね、貴方がそんな名前で呼ぶと
 私は本当にアツシと言う名の人間ではないかと
 錯覚を起こしそうです」
濡れ縁に手をついて控えながら顔だけ上げてアツシは言った。
「宇治で其方が好きに呼べと言った」
「そうなんですが…。」
屋島を落として瀬戸内の覇権を手にいれた俺だったが、
継信を失くしてどこか空虚になってしまったアツシの
姿が俺の今の気持ちと重なって
どちらも言葉を発することのない2人に、
真冬の晴れ間の穏やかな光が射した。
「瀬戸内を押さえられた後は、」
出し抜けにアツシが居ずまいを正して言った。
「平氏打倒まであとわずかでございますね…。
 私も陰ながらご武運をお祈りいたしております。」
では、これにて。
そう言って立ち上がったアツシは動かない俺に向かって
もう一度深く頭を下げた。

「兄の望みを叶えたいんだ…
 それが平氏打倒なのなら、牛若の望みでもあったから」
アツシはゆっくり顔を上げるとまた力なく膝をついて
奴が何か言う前に俺は続けて言った。
「そうだ、俺は影武者なんだ。」

「影武者…」
一瞬で辺りが昏くなったかのようなアツシの声であった。
「誰なんですか」
アツシはいつか見た刺客の女のように唇を震わせて俺に訊いてきた。
「なあ、アツシ。
 鞍馬寺に居た頃の俺は天涯孤独だった。だが牛若はもっと
 本当に独りきりだったんだ。
 何もない寺で何かの影に怯えながら僧になる事を余儀無くされた
 奥州藤原の家臣が迎えにきて秀平と対面するを
 十日後に控えた時…そんな時だ。奴があっけなく逝ってしまったのは」
脳裏に浮かんだのは継信と重なる牛若の目を閉じられた顔だった。
「俺はあいつの笛を持って奥州へ…。
 そして亡くなったのは影武者であったアツシの方ですと
 言ったんだ。」
「…アツシというのは…貴方の名前だったんですね…」
少しも可笑しくないのに何故か笑い出しそうになるのを
俺は堪えていた。
「継信はその事に気付いていた…
 なのにあの時、俺の前に出た」
それ故に最期に退路を断ってすまんと言っていたのは
後戻りをさせんと言う含みもあったのだろう、それを運命と言うのなら。
「退く道など、最初から無かったのだ」

アツシはそのまま動かずに、長い間俺を見ていた。  




11へ続く。

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