淪落記

2004-05-09up










7、影武者(2)


早く、言ってくれよ…。




山道を行く牛若の歩き方がおかしかった。だんだん俺は
不安になり草履の紐を結び直したらと提案したのだ。
牛若が屈んだ次の瞬間。
どこからか放たれた矢が幼い俺の左腕を掠めると、声が出るまもなく、
身体が宙を舞い背中から草いきれの中にどっと倒れこんだ。
誰かが悲鳴をあげて俺を助け起こそうとするが
俺は身体が動かないで息も出来ない痛みに襲われていた。



「牛若…?」
幼い声の俺がまくら元の牛若の名を呼ぶ。
「許してほしい…」
幼い牛若は、板間に正座して長い長い沈黙のあと呟いた。

「わたしは自分が命を狙われるほどのものだとは
 思わなかったんだ…アツシがわたしの身替わりに…」

身替わり…?

いつかは兄と共に源氏を再興するのだと
俺とそんなに変わらないのに牛若は大人だった。
それなのに今の彼は頼りなく、何かに押しつぶされそうに
小さな背中をまるめて項垂れている。

なぜ俺の親は姿を見せないんだろう…。
預けられている寺で主の代わりに怪我をした俺になぜ会いにこない…?
ぼんやりとそんな事を思い俺は牛若の言葉も知らぬげに呟いた。

「父者と母者…
 俺に会いに来ないのなら
 もう山の親父のところへ帰りたい。
 帰らせてはもらえないの?怪我をしたのに?」
「アツシ…」
「牛若の事を兄ちゃんようにも思ってた…
  だけどもう…嫌だ、帰りたい…」
牛若は、膝の上の手を握り込んで悲しい目を俺に向けた。
「アツシにも兄が居たのか…。
 聞いた事があるか。
 平家でなければ人間ではないのだそうだ。
 こんな流言、お前には判るまいが、実はわたしもあんまり
 判って無かった…。お前がこうして怪我をするまで。」
俺が山に帰りたいのと、なんの関係が
そう言って牛若に怒鳴りたかった。だけど、
俺には帰る場所があるが牛若には無い。その時の俺は
彼の事を思いやれなかった自分をひどく恥じて
牛若から目を反らして寝返りをうった。


俺にも帰る場所がないのを知ってるのは
この時は牛若と和尚だけでまだ自分には引き返す
道があるのだと思い込んでいたのだ。

結局あんなにも早く俺が自分を影武者だと気付いたのは
あの事があってからだった。本当の親もとうとう
顔を出さなかった事を思えば俺は只人の猟師の息子だったのだ。

それならそうと、早く言ってくれよ…。


「九郎」
耳もとで囁く懐かしい声にここは鎌倉なのかと錯覚をおこした。
頭の中が混乱している。いや違う、京に来たのだ。
義仲軍との戦の怪我で俺は敦盛の遺体を検分したあと
倒れたのは2日前の事だ。
自分の身体がひどく簀巻きにされるかのような
手当てが少しおかしかった。全く、なんてザマなんだ。
「兄上…?」 声の主はいつ鎌倉からこちらに来られたのか
頼朝であった。
なぜここにいらっしゃる?俺を心配して…?
「今はゆっくり休んで…また働いてもらわねばならん」
……判っております、俺は兄上の為なら……
「九郎、無理をさせたな…」
だが、俺の目は開かない。
死んでるかのように動かない俺を
さぞ兄は痛ましく感じられるに違い無い。
彼がそっと離れていく気配がしても
なんの返事も出来ずにいるのは傷の痛みと脱力のためだ。
兄の役に立てなければ、俺が生きる意味はない。
牛若との約束を果たすためにここまで勝ち進んできたが
今の俺はどうしようもなく疲れていた。







8へ続く。

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