淪落記

2004-08-25up






8、影武者3


快復した俺と戦勝祝を兼ねて宴が開かれる事になり
また兄が来てくれないものかと考えている俺がいる。
戦の最中は自分の居る場所が分からなくなる事はなかった。
だけど…
戦をしていない時の俺はまるで
鞍馬寺に居た頃のように身の置き場を探してる。
早く戦況に復帰したい。そんな事を考えながら
宴の騒ぎを眺めていた。戦が無い政局それに越した事は
ないというのに。

「熊谷が?」
聞き返すと弁慶は深く頷いて続けた。
「何度か聞いた所によると
 敦盛どのを見かけたのですと。それも何度も」
酒の席の戯れ言かと横で聞いていた継信は急に
辺りを見回した。俺は盃を口に運んだまま眼だけで弁慶を見た。
「元々、亡くした息子の菩提を弔うつもりでは
 ござったが…その事があってからは1日も早うにと…」
「出家をか。」
継信と弁慶は頷きあって俺の顔を見た。
「まさかとは思うが、奴しか考えられんな」
「儂もそう思います。」
こういう話も、忘れた頃に出てくるものだ。
戦没した武者が現れる話も大抵尾ひれがついて
伝わってきてそのほとんどが根拠の無いものだ。
恨みを持って彷徨っているなどと、もし自分の死後噂されたら
俺だったら何も知らんくせにとものすごく腹を立てるだろう。
全く恨みを持たれていないとはそれは言わないが…。
今度の話も、素直に考えれば平敦盛らしい若者が
熊谷の側に何度も現れたということだ。
なら、それはあのアツシのことか?

「秋に公文所が設置されるとか…」
俺の言葉に一瞬、あたりが静かになる。
「なんだ、弁慶。俺がそっちの話をするとおかしいか?」
「滅相もない…!」「ふふ」
弁慶は血相を変えて頭を振った。
「心配せずとも、俺は自分が戦以外で兄の役に
 立つとは思っておらん。出来る事をやるだけだ。
 哀しいかな…」政治は源氏が中心になってくる。
まだまだ黙っていない奴も出てくるだろう。
俺の番だな。だが、戦が要らない世の中になったら…?
その事を考えると急に頭に靄がかかったようになって
何も考えられなくなる。

「女たちがあがりまする」誰かの声に宴の席は最高に盛り上がった。
軽快な囃子の音に乗って流行りの唄を謡いながら優雅に袂を振るい
衣が擦れあう音に混じって舞い扇が風を送ってくる。
その中に一人。
白拍子たちのなかで一際に凛々しい麗人が居た。
艶やかな黒髪に烏帽子を冠って美しい額をさらに形よく見せていて
遠目にも素早く軽い身のこなしは見る目を喜ばせた。

やがて欄干の外の濡れ縁に灯明が立ち、火照る俺の顔には
夜風が当たり出した。
「殿…」
酔いがまわったせいですぐに反応出来ずに弁慶に何度か呼ばれた。
ふと気がつくと
畳に着いた俺の手元に紫の桔梗が描かれた扇があった。
「ご無礼を」羽のように軽い身のこなしで
俺の脇に落ちた扇を優雅に取ろうとする白拍子
彼方の美形がいつのまにか目の前にやって来て居て
俺の動きは止まった。白粉の匂いに艶やかな黒髪が鼻先を掠めた。
咄嗟に桔梗の扇を取り上げると女は驚いた顔で俺を見た。
遠目では凛々しさが目を引いたが近くでは
黒髪の艶やかさに負けない濡れた瞳と形の良い知的な唇に眼を奪われた。
「庭に出る」「は。」弁慶が返事した。
女から眼を離さずその場で扇を離し
足下が覚束ないままに濡れ縁から夜の庭に降りていった。

夏の盛りを過ぎた庭で俺は深く息を吸い込んだ。
白い玉砂利の上にかがり火の影が揺れる。
涼を求めるために作られた池の小さい架け橋を渡って、鬱蒼とした
竹林の脇を通り過ぎるとそこは急斜面になっていて
遥か下には小川のせせらぎが流れていた。
秋の気配を感じる風に乗って玉砂利を踏む音に振り返ると
烏帽子を冠った彼方の美形が在った。桔梗の扇の白拍子。
「なんだ、扇は返しただろう」
「わたくしの顔を見て庭に出ると仰せになりました。
 お誘いいただいたのかと…」
「白拍子とはみんなそんなに自惚れが強いものなのか」
「これは怒らなきゃいけない所でしょうか?」
「笑っているじゃないか。」
「そうね、じゃあ私がお誘いしたと言う事に…
 黄泉路へ。」
「な?」
言いながら振り返ると白拍子が飾り刀に手をかける所であった。
シュンッ。
抜き身を構えもせずに切り込んで来て
あまりの奇襲に俺はそれを避けるのが精一杯であった。
互いに瞬時に体勢を立て直す。
「…思った以上によく切れる刀だ。」
傷は浅いが肩口がばっさりとやられていた。
「おのれ」女は間合いを開けずにそのまま反転して
いつのまにか小刀を持っていた左手を振った。
一度しくじったと云うのに逃げ出す素振りがないのは
俺が丸腰だから殺れると思っているのか
そのまままた反転して離れ間合いを取った。
互いにじりじりと間合いを詰めては退いて輪を描いていく。

遠くで囃の音が鳴っていた。
「白拍子の中に本当に間諜や刺客が混じってるとはな。
 噂には聞いていたぞ、誰に雇われた?」
応えず、女は切り掛かって来た。男でも振り回すのが
精一杯の両刀だ。右手は掴めない。左手の小刀に
斬り付けられながらも手首を掴むと一気に懐に入り込んで
背負い投げをした。強い衝撃に頭の烏帽子が飛んで女の髪が乱れた。

「殺せ」地に押さえ付けられたままの姿勢で息を整えながら女が呟いた。
刺客がしくじる事、それは死を意味するものだ。
この女は本職であったらしい。俺はだんだん可笑しくなった。
桔梗の扇を振って優雅に舞っていた彼方の美形がなんという事だろう。
紐の解けた水干は無惨に泥で汚れて俺の肩はばっさりやられている。
あまりにも真剣なのが当たり前でひどく滑稽だった、俺は影武者なのに?

解けた紐を噛んで小袖の襦袢の襟元からゆっくり女の
首筋に唇を這わせた。「やめろ」その声で止めて女を見た。
気は強いが震えている可憐な顔に手をあてて
俺は女の唇に自分のそれを押しあてた。






9へ続く。

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