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淪落記





秘密。


一生懸命完璧に義経になれば成り切るほど、兄と呼ぶ人の心が気になった。
そして俺の日常には刺客が後をたたない。

子供の頃に牛若の代わりに矢をうけた事を思い出す。
顔の見えない敵は姿形を変えて今でも俺を狙ってくる。
時には今目の前に居る、見目美しい女の顔で。

身体を離すと女は柳眉を逆立てながら愛らしい唇を震わせた。
「屈辱だ…」「だろうな。」あっさり肯定して我に返り
厄介な事に女を捕まえてしまっている自分に頭が痛くなった。
俺をし損じたのに逃げないで向かってきたから、捕らえてしまったが
殺る事は出来なかった、が、許す事も出来ない。
「名は?」「……セィ。」
女の唇ばかりを眺めていたのになんと言ったのか理解出来ずに
曖昧に聞き返すと女は低い声で早口になった。
「セイ?」「静と書いてセイ。」「男みたいだな。」
「これが地だ。」
「ではあの舞いは演技だったというわけか。」
俺は笑ったがセイは黙った。
「誰に雇われた?」
「口を割ると思うか。」
「しくじって捕らえられたら、お前は戻っても消されるのではないのか?
 少しでも自分を助けようとは思わんか。」
「ならば今殺せ。」
「なぜ俺が手を下さねばならん?」
大きく見開かれたセイの眼に俺の姿が映るかと思われた。
「行け…」
セイは戸惑いながら、俺に向かって首をかしげた。
「お前を生かしたいだけだ。」
手を離すと女は身体を起こし俺の肩口から袈裟がけに裂けた
傷に自分の襦袢の袖を割いて縛り圧迫した。
たった今見た女の技量を忘れたわけではなかったので
俺は思わず触れられた時に背中に冷たい汗をかいていた。

瀬戸内の四国屋島が平家の本拠地になって久しかった。
冬に向かう頃には、その近辺での開戦をほのめかす者も出始め、
戦いの中で俺は立ち止まる事を恐れていた。

戦は奇襲だ。勝たねば意味がないのだからそれは
俺にしてみれば立派な戦法であった。

「名乗りをあげんのを批判されておるのです。」
それは戦いの合間にあった俺に向けられた継信の言葉であった。
「俺も名乗りをあげん者によく命を狙われている。」
「殿…。」
「ははは、これはいい。
 俺が暗殺者になれば話は簡単だ。
 名乗らんのは暗殺者であるからだとな。
 ……下手な流言だ。」
最後の一言は継信を突き放していた。
「仮にも、ご舎弟の身なれば…」
「継信…
 今、仮にもと聞こえたは、俺の耳のせいか」
脇に控えた弁慶の戸惑っているのが伝わってくる。
継信にいら立ちを覚えたのはそれが初めての事だった。
「 島の陸路を押さえておけ。」
低い声で言いおいて俺はその場を離れた。
敵は俺達が海から攻めると思うだろう裏をかくつもりで
あったのだが、継信はそれにも異論を唱えた。


真冬の海原。
寒風吹きすさぶ瀬戸内でそれは肉弾戦であった。
騎乗したまま敵の陣営に乗り込んで太刀を振る俺は雅からはほど遠い
ただの一武者のつもりであったのだ。
だから戦ゆえに勝ち進む事しか考えていなかったのだと思う。
これまでも無心にただ目の前の敵をなぎながら勝ち進んできた。
さすがはご舎弟という賛辞のなかに
俺を疑う者が居たとしても構わなかった。
だが、兄と呼ぶ頼朝にはいつまでも信じていてもらいたい。
それでないと意味がないのだ。

俺は騎乗したまま浅瀬で敵に太刀を振るっていた。
人馬をかき分けた所で俺に向かって矢を番えている武者を
ひずめに掛けていく。激しい怒号が飛び交い
長刀を振るった武者が突進してきた。
しまった、馬の脚を斬られる!
咄嗟に俺は片足を鞍にあげて、馬が倒れるもしもの時の為に身備えた。
「殿ー!!」

継信の声と同時に、武者の長刀が一瞬のうちに叩き斬られて
武者は信じられないように自分の長刀を見て、
脇で太刀を構える男にゆっくりと振向いた。俺もまた。
武者は鼻先に抜き身を突き付けられ、じりじりと後ずさる。
俺の目も武者と同じく見開かれていったのは男の手練にではなかった。
かといって、刀を構えた男が簡単な
甲冑しか身に付けていなかったからでもない。
「…アツシ…?」
誰にも見付からない間に藁小屋の壁板を叩き割って
姿を消した少年、男はあのアツシであった。
なぜ継信の私兵の成りをして戦っている?
「右だ!」俺に向けられたのだと理解すると同時に
素早く振り返って一刀のもとに敵を叩いた。 その断末魔が背後の激しい金属音と
かぶってまた振向くと、アツシは刀を頭上で水平に構え
剛腕な武者の太刀を受け止めている所であった。
どう考えても力の差は歴然としているのに、武者の方が焦りの色が濃い。
ふたまわりはあろうかという剛腕の太刀を細腕のアツシが
受け止めていてまるで辺りの時間が止まったような気がした。
有り得ない事にそのままアツシはおもむろに片足をあげたかと思うと
武者の腹を蹴りあげ、というよりは押し上げた形で
武者は運悪く後ろに来た男たちを巻き込んで倒れ込んだ。
奴は信じられないほどの怪力の持ち主だったのだ。
「どういうことだ」
俺の言葉に怪訝な顔のアツシが俺の背後の継信を見て
「ご存知では?」と、逆に聞いてきた。
継信に振り返りかけた時アツシは俺の横まで来て膝を折り、
俺を見上げながら静かに言った。
「私が志願したのです。
 此処だけでなく山々の嶺には精通しておりましたので、
 お役に立てるかと。
 偶然佐藤様をお見掛けしてお目通りを願いました。」
「なぜ黙っていた?」
「黙っていたわけでは…、うっかりしておりました。
 土地をよく知るものが欲しかった所でしたので…。それに
 敦盛どのに似た男を配していれば、敵の士気に関わ…」
「関わるものか」いら立ちを隠し切れない俺の言葉に
継信だけでなく、後からやって来た弁慶も
驚いた顔をして馬の脇から俺の顔を覗き込んだ。
「…は。」短く応えて継信はそのまま弁慶の隣で膝を折る。

「お前はなぜ戻った?
 秋の始め頃に誰かを敦盛どのと見間違えた男が居た。
 お前がそうだったのか?
 その頃から我等の回りをうかがっていたのか?」
それも一緒に戦うために?
アツシは応えず、ただ頭を下げているだけであった。
陸路から攻めるのに意義を唱えていた継信が、それでも
結果的には俺の命に添っている。本当に土地のものでも
居ないことには何もならない状況だったのだ。
「こたびは少数精鋭だ…いいだろう。
 これからも継信によく仕えろ」継信に向かって
「すまなかったな、お前に任せる」というと
俺の一言で継信も弁慶もそしてアツシも、
張り詰めていた空気が一気に溶け出して笑みを見せた。
「ひとつ教えてくれ」
立ち上がったアツシに馬の上から声をかけた。
「どうやって音をたてずに壁板を割る事が出来た?」
「…秘密です。」
ほんの少し、皮肉っぽい言い方で応えて奴は頭を下げた。

その時になってやっと俺は奴を見たと思った。
改めて見ると奴の目も気になるほどの事も無く
敦盛に似ていたのも只の偶然で
やっぱりどこにでも居るような少年の顔をしているように思った。

皆が無精髭を生やしているのに奴には何も無いのは
奴がまだ若いからだと思った。違和感といえば違和感であった。
が、不思議とどこか懐かしい感じの方が勝っていた。
眼のすぐ上で切りそろえられた奴の前髪が
初めて会った時のままに変わらないからだろうか。
そんな、素朴な懐かしさであった。




10へ続く。

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